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homia

Author:homia
homia(ほみ)
2004年春、山岸涼子の「テレプシコーラ」を読み
同年8月東京バレエ団40周年記念ガラからバレエに通い始める
2006年7月7日ブログ開始

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ミラノ・スカラ座バレエ「マノン」1月27日、29日(3)
Manon201101_2.jpg

第3幕
ニューオーリンズの港。
降ろされた娼婦たちの踊り。弱い。動きが小さく中途半端に感じる。
看守はジャンニ・ギスレーニ。苦みばしったちょっと怖い感じの風貌で演技力もある彼にはぴったり。
デ・グリュが先に船を降り、マノンも続く。第1幕の登場のとき、マダムのサロンに登場したときと同じマノンのテーマが流れる。髪も切られぼろぼろのなりをして打ちひしがれていても、マノンはまわりの男を魅了する。早速看守の目に止まりちょっかいを出されるマノンを前に無力なデ・グリュの踊り。彼には最早マノンを心配すること、そばについていることぐらいしか出来る事がない。彼の変わらぬ愛と無力さに打ちのめされる。

看守に連れて行かれ対峙するマノン。拒絶は強いがやがてねじ伏せられる。マクミランに特有の性的暴力性の強い場面。わかっていてもやはり戦慄が走る。ここの旋律が煽るものでなく静かな悲しさを湛えたものであるのだけが救い。ギスレーニはやりすぎでなくてホッとする。十分に欲情と暴力と権力の行使を感じさせるものではあったが。ギエムは反抗するところが強い。
ブレスレットを与えておまえは娼婦だとつきつける残酷さ。ブレスレットにおびえるマノン。
娼婦の扱いを受けたことが、なのか、ブレスレットだからなのか。そこがまだよくわからない。両方なのか。マノンにとってブレスレットというものはGM、殺されたレスコー、今の自分につながる象徴的なものなのか。

かけつけたデ・グリュはマノンに再び言い寄っている看守を認めて逆上、ナイフを出して後ろから彼を突き刺してしまう。殺意があったというよりただ目の前のことに我を失っただけで、すぐに我に返りナイフを取り落とし呆然としつつ踊る。まるで救いを求めるように。
先に現実を直視したのはマノンの方で、デ・グリュが落としたナイフを拾い上げデ・グリュに示し、動かぬ看守を確かめ、逃げ出すことを促す。デ・グリュもうつぶせに倒れていた看守を仰向け、動かぬことを確認してから逃げ出す。この短い間にマノンがデ・グリュに何故、刺してしまったの?と責めているのを感じるのだがどうなのだろうか。ここではマノンの方が余程しっかりしている。

沼地。横たわる二人の向こうを行き過ぎる人々のことは見ていなかった。
マノンをそっと横たえ、うなされ続け時に何者かにおびえのがれようもがく彼女に絶え間なく優しい愛撫を与え抱きしめ守ろうとするデ・グリュ。ここのムッルは感動的だ。
最後のPDD。目に力なく表情が読み取れない、憔悴しきったギエムのマノン。踊りだけは脱力が効いていながらもクリア。初日の方が力なさが際立ち、2日目の方が力を感じた。2005年のスカラ座の公演ではここでギエムの落下(つまりムッルが落とした)があったので初日はすこし心配しつつ。リフトは両日とも破綻せず、きっちりと決まっていたと思う。よろよろと先も見えていないような状態になりながら、最後はデ・グリュの元に走って頼っていく、身を預けるマノンととればいいのか、他に選択肢がなかったととればいいのか。そこはまだ迷っている。

ノイマイヤーの「椿姫」で愛するデ・グリュの腕の中で息を引き取るマノンと、ひとり死んでいくマルグリットを対比させているように、確かにマノンは自分をどこまでも愛してくれるデ・グリュの腕の中で死んでいく。それはマノンも望んでいたことなのか。マノンもデ・グリュを愛していたと思うけれど、二人のそれはすれ違っているようにも感じてしまうのだ。
マノンは死んでいく、自分には何も出来ない。これからはもうマノンは共にいない。デ・グリュの嘆きはわかる。あれほど愛したマノンが最後は自分の腕の中で死んでいく、それはデ・グリュの不幸で幸福ではないかと思ってしまう。

ギエムがだんだん意識のはっきりしなくなる状況を抑え目に演じていたのに対し、ムッルの没入振りは凄まじかった。初日の最後の最後、もう動かなくなってしまったマノンを横たえ確かめた音楽の高まりの中に人の声が混じっている。え?と思ってすぐにわかった。ムッルが声を上げて泣いているのだ。初めて聞いてびっくりした。まさに絶叫。天を振り仰いでいる中に幕がおりていく。
2日目はもう、立ち上がって踊りだすところで顔が歪み泣き出しているのがわかってしまった。彼は2時間40分の間夢中でわき目もふらずにマノンに恋し、愛をささげ、今その死に直面して身も世もなく泣き叫ぶ。2日目も最後に横たえたところで号泣し、天を振り仰いで再びマノンに身を伏せていくところで幕。この2日目の最後は容赦なく胸を打った。

こういう物語バレエの悲劇的エンディングでは、それがムッルの舞台であればなおさら最後に向けてぼろぼろに泣いてしまうのだが、今回はそれほど泣かなかった。デ・グリュの悲しみには同調しつつ、どうしてもマノンはどうなのだろうという意識が残ったからかもしれない。泣かないでしっかり目に焼き付けなさいと自分を叱咤した部分もある。
明確なひとつの答えのようなものをもらったわけではないけれど、ギエムとムッルの踊りと演技のクオリティ、その生き抜く様、伝える強さにおいて大きく心動かされた2回の公演だった。
他のスカラ座バレエに関して言えば物足りなさが残るけれど、二人を見るだけで補って余りある。

しかし依然としてマノンはミステリアスだ。


カーテン・コール、その他
まず第1幕のマノン登場のところからしてすごい歓声。スカラ座の観客たちも、ギエムを観るために世界各国から集まったらしいファンたちも、彼女の登場を待ちわびていた様子。大きな拍手とさらに声がかかります。スカラ座では登場拍手がないこともあるし、あっても控えめなのでこれは破格です。
マノンとデ・グリュのPDDが終わるたびにこれまた大拍手とブラボーがかかりました。第2幕のマノンのソロの後も凄かったです。
終演後のカーテン・コールもまた大喝采。こちらのアンコールは日本ほどしつこくないので、大体2回ぐらいであっさりと客電がつき皆帰っていくのですが、今回は違いました。2回は呼び戻し、最後は客席がこうこうと明るい中で再度二人を呼び戻すと言った具合。勿論全員がそれに従っているわけではなく、帰っていく人はたくさんいるのですが、平土間前方に集まって立ったまま熱心に拍手を送り続ける人たちの群が。日本よりは少ないけれど。そして普通ならこれで終わりの2回の後、手拍子を揃えて一度呼び戻したのが初日でそれが2回に亘ったのが2日目でした。

両日とも幕がおりてから最初に二人だけで向かえるカーテン・コールではまだ現実に戻って来られないムッルを見出しました。
いつも子どものように無垢な心からの笑顔を向けているギエムのカーテン・コールはとても好き。すべてを悔いなく出し尽くした人にのみ許される笑顔ではないかと思うのです。
ムッルもまた満ち足りた良い表情をしていました。ファン冥利に尽きる幸せなひとときでした。

公演感想2011 | 【2011-02-06(Sun) 08:01:12】
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